お墓の引っ越し…その翌朝 101歳のおばあちゃんは逝きました…

  • 2017.01.10 Tuesday
  • 13:00

2017年1月10日 記

 

 

お墓の引っ越し…

 

その翌朝

101歳のおばあちゃんは

 

逝きました…

 

 

2016年 12月23日 に、眞對れいこ設計の…新たなお墓を作成

 

眞對れいこ デザインのお墓…建立

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=357

 

 

 

2017年1月9日(月)

お墓の引っ越しをしました

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

そして その翌日…

 

 

2017年1月10日(火)

101歳おばあちゃん…

 

旅立ちました

 

 

 

 

 

昨日1/9
お墓のお引越し。で元気だった


101歳のおばあちゃん

(主人の祖母)が

 

その翌日…1/10
 

 


つまり今朝


突然

 

亡くなりました



苦しむこともなく

お風呂で大往生



 

101のおばあちゃんの


ご主人(享年36歳)と

幼い我が子2人

(享年0歳と享年2歳)

 

70年前の戦争時に亡くなり

福島に土葬されていたのですが

 

 



20年前に掘り起こし

 

その折に町田にお墓を建立して
お骨の第一回目の引越し

 

 


そして昨日

2017年1月9日



その町田のお墓から
第二回目のお骨のお引越しをしたのです。

 

 


私がデザインした永山のお墓に
3人のお骨をお納めしたのが昨日…

 


MYデザインのお墓を建立しました…というブログを昨年末に書いたのですが…)

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=357


101歳のおばあちゃんも

 

儀式に参列し
やがて自分の入るお墓を見て喜んで

小さな宝石箱に入った
ご主人と我が子のお骨を
抱いて

名前を呼んで

 

 

涙を流していました…

 

 



法事の会食もほぼ完食

記憶も聡明でした

 

 


翌朝…

 

2017年1月10日

 

 

 

101歳のおばあちゃんは


朝ごはんを食べてから


自分で階段をのぼり
自分でお風呂にはいり



そのお風呂で…

 


おばあちゃんの心臓は

 

そっと

 

 

 

止まってしまいました

 

 


不思議な日の
旅立ち

 



昨日の法事

町田のお墓→脱魂儀式

永山のお墓→開眼供養

 


移動もあり

法要も寒い中。

 

おばあちゃんの強い意志での参列でしたが

 

 

車椅子の私ですら

かなり疲れました

 

それもあって現在

私は身体激痛です
 


おばあちゃん、久々の外出

そして儀式の疲れで心臓に負担が?

 

…だとしたら私のせい。。。。。

 



70年前に亡くなった
ご主人のお骨を抱き



愛するご主人が
お迎えに…?

 



それなら
幸せなことかもしれません

 

 



建立したばかりの
ピッカピカのお墓…
ご自分が入るお墓を見定めて



その翌日にはお迎えが来て

入る方の運命となってしまった
101歳のおばあちゃん

 



不思議な旅立ちです

 

 

急いだお墓建立

 

おばあちゃんの命にギリギリ間に合ったのかもしれません


 


 

やっと…

 

 

幼くして亡くなった

我が子と…

 

愛するご主人のもとに

70年ぶりに。。

 

 

 

春江おばあちゃんの

やすらかなお顔

 

 

 

 

お風呂で

自らの身体を浄め

 

苦しまずに逝ったおばあちゃん

 

 

 

検死の診断では

苦しむこともなく

急性心不全だったと。

 

 

 

寝たきりになることも

介護認定されることもなく

 

 

もちろん

 

ひとり娘である

私の主人の母が

何から何まで

それは かいがいしく…

手厚く心厚く愛情をありったけこめたお世話をし続けていましたが…

 

 

 

 

 

101歳のおばあちゃんは

 

 

最期の最後まで

 

自分で歩き、普通食を食べ、

自分でお風呂に入り

記憶も冴えわたり

 

 

管につながれることも

床ずれができることも

ボケてしまうこともなく

 

家族に重度の介護の辛さを与えることもなく

 

 

 

そしてご主人の遺してくれた生活の糧で

 

 

 

101年と8カ月の人生を

 

生き切りました

 

 

 

30歳で夫を戦争で亡くし

長女を2歳で

長男を0歳で失い

 

 

生き残った次女…

つまり私の主人の母

 

 

女手ひとつで育て上げ

 

 

その最中、工場の事故で

親指を失っても

 

笑顔をたやさず

 

 

ひたすら世の中に感謝して

生き続けてきた

 

 

優しくかわいらしく

 

強い

 

春の陽射しのような

あたたかい女性でした

 

 

 

 

 

 

本当に

本当に

 

長い間

がんばったね

 

 

 

 

 

 

春江おばあちゃん

 

 

本当は私が先に入ろうと思って

つくったお墓だったのですよ

 

 

でも…

そこに

 

ご主人と我が子さんが入って

 

 

その翌日に…逝っちゃうなんて。

 

すご過ぎです

 

 

 

 

 

もう

足の痛さに

辛い思いをすることもないね

 

おばあちゃん

 

 

 

 

どうか やすらかに

 

眠ってね

 

 

 


 

 

 

 

不思議なことがありました

 

 

それは

 

新しいお墓に

お骨を納めた直後のできごとです

 

 

 

 

町田のお墓の脱魂の儀式中は

 

永山のお墓の開眼供養のときも

最初は雨天

 

 

 

雨が落ちる中

 

青いパラソルの下での儀式と法要

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

写真…手前が春江おばあちゃん

 

お祈りしている女性

 

春江おばあちゃんの…生き残った

ひとり娘…私の主人の母(1940年生まれの76歳)

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

雨天の中で始まった儀式。

 

 

ところがだんだん曇天になり

 

 

宝石箱に入った3人のお骨を納めてまもなく

 

はやみ

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

霊園の係りのかたがお骨を納めてくださってるところ

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

暖かい陽射しがあたりを包み込み

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

 

先ほどまでの曇天が嘘のように…は晴れ渡りました

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

青いパラソルが立っているところがお墓の場所です

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

 

法事のあと

 

陽射しの中で

おばあちゃんが最期に食べた会食です…

 

 

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

2017.1.9お墓の引っ越し

 

 

 

春江おばあちゃんは

 

 

春の陽射しのような

優しい陽の光の中に

 

 

天国の藤五郎おじいちゃんの

お迎えを

 

 

 

感じていたのかもしれません

 

 

 

春江おばあちゃん

 

 

今まで

 

たくさんの笑顔をありがとう

 

 

やすらかに・・・

 

 

 

 

眞對れいこ

2017.1.10

 

 

 

 

 

 

 

追伸

 

 

…私は年末年始の動き過ぎ^^;で
身体激痛で…


 

1/16月曜が葬儀のため

急遽、一週間の休み延長とさせていただきます…
ホントにごめんなさい



なんとか体調
立て直しますね


 

 

 

 

 

そして…

 

1/4の抽選結果の話。

 

 

ル・シエルその2〜その7の記事。

 

すでに書き始めていました

 

 

 

前後することになりますが

 

そろり…っと公開していきますこと

不謹慎ですが おゆるしください

 


 


 

今年もよろしくお願いいたします

 

 

 

 

Myデザインのお墓…建立

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=357

 

 

 

101歳のおばあちゃん(97歳のおばあちゃんに取材が来ました…の記事 再掲&加筆&近況)

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=282

 

 

 

96歳のおばあちゃん

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=4

 

 

 

 

 

 

眞對れいこの全ブログ

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眞對れいこ ホームページ
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101歳のおばあちゃん(97歳時の記事 再掲&加筆&近況)

  • 2016.05.17 Tuesday
  • 01:56

※おばあちゃんは現在101歳

変わらず元気です(2016年5月現在)


普通になんでも食べられます。読書をし、歩き、お風呂もひとりで。

私の近況
お墓のこと最後の部分に加筆し

 

4年前のブログ…

「97歳のおばあちゃん…」の記事を

一部修正して再掲します

(2016年5月17日)
 

 

 


2012年12月30日(日)

97歳のおばあちゃんに

取材が来ました


〜藤五郎さんのお墓・私のお墓〜


20121210藤五郎おじいちゃん大切抜き03




東京グラフィティ
 
2013年1月号


創刊100号 メモリアル号


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その24


2012年12月26日
1冊の雑誌が届きました。


Tokyo graffiti」1月号。

12月23日発売。


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その1

実は…



私がブログで書いた

「96歳のおばあちゃん」

2012年1月2日付)


の記事がきっかけで

2012年12月10日
東京グラフィティの取材がやってきたのです。



記者さんが私のブログを見つけて下さり…

取材させてほしいとの依頼がやってきたのが…

12月5日
私の父の命日。

 




主人の父母とともに暮らしているおばあちゃんは
今、97歳


ひとりで歩き
普通の食事を美味しそうに何でも食べ
読書をし
思考もしっかりしている春江おばあちゃん。



春江おばあちゃん(97歳)と
春江おばあちゃんの娘
(主人の母72歳)と
…私。↓

20121210東京グラフィティ取材写真その23逆光


…ところがおばあちゃんに
取材の申し入れを伝えると

「私はもうひっそりと世の中のすみっこで生きていたいから
取材はお断り…」


と、97歳の春江おばあちゃん


でも…父の命日にやってきた
なんだか不思議なご縁に思えて
お受けすることを勧めてみました

 



天国で私の母と父が…
春江おばあちゃんの
亡きご主人・藤五郎さん

遭ったのではないかしら?とも感じ…。


20121210東京グラフィティ取材写真その7


私の亡くなった母は
春江おばあちゃんが大好きで

絵手紙や
クリスマスカードや
季節のメッセージのやり取り文通を続けていました




天国へ
今年、先に旅立った私の母が
天国で…

春江おばあちゃんの旦那様に
66年前に36歳で戦病死した
藤五郎おじいちゃんと遭ったのかな…



96歳のおばあちゃん
というブログを書いたのが

私の母の最後の誕生日。



取材依頼が来たのが
父の命日…

それでなんだか不思議な縁を感じたのです




20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その18スポット


こんな素敵な記事になりました…




掲載された写真です
20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その23


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その3


記者さんが書いて下さった記事。
「天国へのラブレター」



たくさんのインタビュー話を
こんなに短く上手にまとめる記者さんは やはりすごいな…。

月刊ショパンの時にも同じことをつぶやきましたね…


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その4



いろんなカップルの写真が満載のこの雑誌。480円。

20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その9




20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その10


もし書店で見つけたら…
101ページを見てみてくださいね



20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その7

20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その6


101ページ。
↓春江おばあちゃんが載ってます


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その18


送られてきた雑誌には
記者さんの心のこもるメッセージ・カードが。


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その12


私のブログは長いのが欠点(^^;;
まだまだ続くこのブログ記事…取材秘話を少し

 

 

 



取材の日

ぬけるような青空。



主人の実家↓
1994年に渋谷からこの家に移転
20121210東京グラフィティ取材写真その3


この庭先で取材写真撮影

20121210東京グラフィティ取材写真その4



20121210東京グラフィティ取材写真その1


撮影風景↓

20121210東京グラフィティ取材写真その18

20121210東京グラフィティ取材写真その19


取材中↓

20121210東京グラフィティ取材写真その36

が記者の熊澤さん
中央春江おばあちゃん 97歳
春江おばあちゃんの娘
主人の母私のお姑さん
 72歳

20121210東京グラフィティ取材写真その35

おばあちゃんも
おばあちゃんの娘=私のお姑さん(義理の母)も
たくさんの想い出話を…。


20121210東京グラフィティ取材写真その34


お庭に出て撮影!

20121210東京グラフィティ取材写真その21

20121210東京グラフィティ取材写真その20


取材ではいろんなショットを。

20121210東京グラフィティ取材写真その16

20121210東京グラフィティ取材写真その15

20121210東京グラフィティ取材写真その14


春江おばあちゃんが持っているのは藤五郎おじいちゃんの絵…
これは私(眞對れいこ)が描いた絵です

 

 


10数年前…
写真を見て短時間でなんとなく描いた藤五郎おじいちゃんのラフな
スケッチ画

「今度ちゃんとした絵を描きますね…」

と言ってから描かぬまま十数年たってしまいました…
すっかり絵をさぼってしまい。
ちゃんとした絵を描かなけりゃ…ですね…



20121210東京グラフィティ取材写真その5


あらら額に入っている…;



20121210東京グラフィティ取材写真その6


「おじいちゃん」などと呼んでいますが
本当にまだ若かったのですね…



20121210東京グラフィティ取材写真その8



まるで少年兵のよう…。

20121210藤五郎おじいちゃん大切抜き




↓これは藤五郎おじいちゃんの出征時。「藤五郎」の旗がみえます

20121210東京グラフィティ取材写真その25


向かって右が春江おばあちゃん
赤ちゃんを抱っこしているのが
藤五郎おじいちゃん。

そしてこの赤ちゃんは
主人の母の姉(享年2歳)

戦時中の医療の限界で…病気で2歳で亡くなったそうです…(涙)




20121210東京グラフィティ取材写真その25スポット


藤五郎おじいちゃんは戦地で病気にかかり、終戦の年には日本に帰っていました

藤五郎さんの乗った軍艦が転覆し
命からがら自力で異国の地に泳ぎ着きそこで病気に。
瀕死の状態で日本に戻っていたのです

 

 

 


以下は実話です
 

 


主人の母(春江おばあちゃんの娘)が5歳の時。関東が空襲を受け
防空壕に町じゅうの人々が避難している中


戦地帰りの藤五郎さんは
音で異変を突然、察知して皆に知らせたそうです

 



この防空壕爆撃される!

危ない!皆、逃げろ!!



病気の体ながら藤五郎さんは小さな5歳の娘をおぶって逃げました


防空壕の中にいた人々を説得し、連れ出し先導して。



そして、夜の闇の中
敵機爆撃が続く中

 


もう近くが爆撃機の射程内に入ってしまった…。
藤五郎さんはその時、咄嗟に皆を空襲から助ける手段を。



線路の上に全員

頭を同じ方向に向けて

等間隔
あおむけに!」



あおむけに寝ころべ…と、一緒に逃げた一団にてきぱきと指図をしたそうです
敵機の攻撃を避ける咄嗟の判断。


人間とわかれば攻撃される。

こうすれば 空からは人間には見えず、
線路わきの植栽に見える…
という、爆撃を逃れる苦肉の機転。



はたして本当に爆撃は避けられました。




この日、もし藤五郎さんがいなかったら
「私は生きていなかったのよ」
と義母は言います


5歳の娘…(=私の義理の母)は
この藤五郎お父さんと爆撃の記憶を、恐怖体験とともに 幼いながらきっちり覚えていたのでした



爆撃機が去っていき…
そこかしこは地獄絵図。


藤五郎さんは5歳の娘に
持っていた布で目隠しを。


そして…
家のあった場所に戻ると
家は爆撃で跡形もなく

避難していた防空壕に戻ったら…


防空壕は直撃され
藤五郎さんの説得に応じず防空壕に居残った人々は全員

 

…亡くなっていたそうです…



藤五郎さんは重篤な病の身
最後の力をふりしぼって
何人、何十人かの命をつないだのでした…




20121210東京グラフィティ取材写真その22


東京は戦後の焼け野原。


終戦後まもなく亡くなった

藤五郎おじいちゃん
(…といっても享年36歳のまだ若者)のお骨は…

福島の田舎に形だけの火葬をし
昭和21年に埋葬されました。
ほとんど土葬に近い状態で…。


それからぴったり50年後
1996年

藤五郎おじいちゃんのお骨を
掘り起こすこととなりました

お骨を東京に移すため。




春江おばあちゃんが歳をとり
はるばる福島までのお墓参りも墓守も難しくなったための引っ越しです


藤五郎おじいちゃんの頭骨は
春江おばあちゃんが来てくれるのを、連れて帰ってくれるのを待っていたかのように


それはそれは
白くきれいな
頭の形…
まあるい形を残して
頭骨は土の中にありました





1996年に撮った写真↓
20121210東京グラフィティ取材写真その29



藤五郎おじいちゃんの
頭骨の白い色は
この宝石箱の感じに似ていたので


20121210東京グラフィティ取材写真その27


藤五郎おじいちゃんの再火葬したお骨は、この宝石箱に入れて東京の某市のお墓に埋葬されました



春江おばあちゃんの
ご主人とお子様のお骨。

つまり…
私の主人の母の
姉弟のお骨と
主人の母のお父さんのお骨。




2歳で亡くなったお姉さん:えみちゃん
0歳で亡くなった:いちろうくん
36歳で亡くなったお父さん:藤五郎さん




1997年にお墓に再埋葬↓
今より15歳若い春江おばあちゃん=当時82歳
20121210東京グラフィティ取材写真その33逆光

20121226東京グラフィティ藤五郎プロフィール




「愛」と彫られた墓碑銘のお墓

20121210東京グラフィティ取材写真その32切抜き逆光


1997年に
藤五郎おじいちゃんのお骨を
福島から掘り起こし
再火葬して東京に移した時建てたお墓です



私の
実家の家紋
眞對の家紋

奇遇にも一緒。
抱き柏だきがしわ)」

それもこれも不思議な話…





春江おばあちゃんと
藤五郎おじいちゃん

私も一緒のお墓に眠ることが決まっています




私の永遠の眠りの場所。





以下、取材の時の春江おばあちゃんの言葉です


「藤五郎さんは『俺が一生、看てやるから安心しろよ。』と言ってくれたの。でもすぐに戦争に召集されて…亡くなって…。一緒にいられたのは3年だけ。でも、ずっと守られてると思っていました。
今でもずっと大事に守っててくれているんですもの


『好き』より、もっと大切な人よ。」




藤五郎おじいちゃんのお話…。

こうやって残せたのも

Tokyo graffiti
東京グラフィティ
の取材のおかげなのでした…



以上、2012年12月の記事の再掲(一部修正)

ーーーーーーーーーー

↓以下、2016年5月追記


私が癌になりました


癌とわかって
余命を言われてすぐ
お墓参りに行きました

私の父母が眠る墓所
富士山が眺められる

素敵な眺望の墓所です


墓所からの眺望↓





墓所敷地内でスマホで撮影↓




お墓は継承者がいないと

やがて共同墓地に合葬されてしまう…という現実。

眞對の継承者はおそらく息子一人

いくつもの墓の維持は一人では大変…という話し合いをもち


父母と同じ墓地に…富士山の見えるゆったりした地にお墓を買いたいという前々からの希望を申し出ました。皆が同意してくれたので

新たにお墓を買いました


そのお墓が建立されたら
藤五郎おじいちゃんは
またまたお引越しすることに。




そのお墓に…私も義父母も、その祖父母も一緒に眠ることとなります

私の実父母とま同じ墓地の同じ敷地内に…。寂しくなさそうですね

お参りに来てくれた人に富士山が見える向きに立つお墓です



//




さて、50ほども先輩の101歳のおばあちゃんは、まだまだ頭も冴えていて記憶力も元気!



2015年5月↓中華料理:酔八仙にて



でも足が痛くて歩くのは少し困難…が私と一緒。

お互いがんばろうね、と春江おばあちゃん。私の方が励ましていただいています



私は今…骨転移の痛みと歩行困難、吐き気・発汗、骨の注射後の副作用とイレッサの副作用に苦しんでいますが、快方への試練だと思って、レッスン休まず頑張っています。大腿はシビれが強く、全身痛…。イレッサ隔日服薬では癌は小さくはならないですが、水素を吸わない日は副作用が強いように感じます



春江おばあちゃんと私

ただいま長生き競争中

 

 

2016年 12月23日 に、眞對れいこ設計の…新たなお墓を作成

 

眞對れいこ デザインのお墓…建立

http://shiroikabasan.jugem.jp/?eid=357





おばあちゃん…ずっとずっと…長生きしてね





眞對れいこ

 

 

 

 

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眞對れいこホームページ↓
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97歳のおばあちゃんに取材が来ました〜東京グラフィティ〜藤五郎さんのお墓・私のお墓〜(おばあちゃんは99歳になりました)

  • 2012.12.30 Sunday
  • 12:30

(※おばあちゃんは現在99歳、変わらず元気です(2014年10月現在)
↑この行だけ2014年10月に加筆しました)

 

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2012年12月30日(日)

97歳のおばあちゃんに
取材が来ました …
東京グラフィティ

 


〜藤五郎さんのお

春江さんから 藤五郎さんへの ラブレター〜


20121210藤五郎おじいちゃん大切抜き03
   ↑

藤五郎さん。昭和21年…36歳戦病死


東京グラフィティ
2013年1月号・創刊100号 メモリアル号


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その24

 

藤五郎さんはね…『俺が一生、看てやるから安心しろよ。』と言ってくれたの。

 

…でもすぐに戦争に召集されて…亡くなって…。一緒にいられたのは3年だけ。

でも、ずっと守られてると思っていました。


今でも ずっと大事に守っててくれているんですもの
好き』より、もっと大切な人よ。…by 春江おばあちゃん

 

 

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2012年12月26日…1冊の雑誌が届きました。

Tokyo graffiti」1月号。12月23日発売。


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その1

実は…


私がブログで書いた

「96歳のおばあちゃん」
2012年1月2日付)…
の記事がきっかけで

2012年12月10日東京グラフィティの取材がやってきたのです。


記者さんが私のブログを見つけて下さり…

取材させてほしいとの依頼がやってきたのが…
12月5日。私の父の命日。

 



私のお舅・姑さん(私の主人の…父母)とともに暮らしている=春江おばあちゃんは
今、97歳


ひとりで歩き
普通の食事を美味しそうに何でも食べ
読書をし、思考もしっかりしている春江おばあちゃん。



春江おばあちゃん(97歳)と
春江おばあちゃんの(主人の母72歳)と
。↓

20121210東京グラフィティ取材写真その23逆光


…おばあちゃんに、取材の申し入れを伝えると

「私はもう…ひっそりと世の中のすみっこ で生きていたいから、取材はお断り…」と、97歳の春江おばあちゃん。


でも…私の父の命日にやってきた依頼。
なんだか不思議なご縁に思えて、お受けすることを 春江おばあちゃんに勧めてみました

 



天国で私の父母が…
春江おばあちゃんの亡きご主人・藤五郎さん
に、空で遭ったのではないかしら?とも感じ…。


20121210東京グラフィティ取材写真その7


私の亡くなった
春江おばあちゃんが大好きで

絵手紙や・クリスマスカードや
季節のメッセージのやり取り文通を続けていました



今年、先に旅立った私の母(78歳)が
天国で…
藤五郎おじいちゃんと遭ったのかな…

春江おばあちゃんの旦那様=藤五郎さんは、66年前に…36歳で戦病死していました


96歳のおばあちゃん
というブログを書いたのが
私の母の最後の誕生日…1月2日


取材依頼が来たのが、私の父の命日…12月5日

それでなんだか不思議な縁を感じたのです



20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その18スポット

こんな素敵な記事になりました…



掲載された写真です
20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その23


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その3


記者さんが書いて下さった記事。
「天国へのラブレター」



たくさんのインタビュー話を
こんなに短く上手にまとめる記者さんは やはりすごいな…。

月刊ショパンの時にも同じことをつぶやきましたね…


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その4

いろんなカップルの写真が満載のこの雑誌。480円。


もし書店で見つけたら…
101ページを見てみてくださいね



20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その7

20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その6


101ページ。↓ 春江おばあちゃんが載ってます

20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その18


送られてきた雑誌には
記者さんの心のこもるメッセージ・カードが。


20121226東京グラフィティ2013年1月号創刊100号写真その12


私のブログは長いのが欠点 (^^;;
まだまだ続くこのブログ記事…取材秘話を少し

 

------------------------------



取材の日は、ぬけるような青空。

主人の実家↓
1994年に渋谷からこの家に移転
20121210東京グラフィティ取材写真その3

この庭先で取材写真撮影

20121210東京グラフィティ取材写真その4



20121210東京グラフィティ取材写真その1


撮影風景↓

20121210東京グラフィティ取材写真その18

20121210東京グラフィティ取材写真その19

取材中↓

20121210東京グラフィティ取材写真その36

が記者の熊澤さん
中央春江おばあちゃん 97歳
春江おばあちゃんの娘=Mさん=私の主人の母私のお姑さん 72歳

20121210東京グラフィティ取材写真その35

春江おばあちゃん
春江おばあちゃんの娘=Mちゃん=私の お姑さん
たくさんの想い出話を…。


20121210東京グラフィティ取材写真その34

お庭に出て撮影!

20121210東京グラフィティ取材写真その21

20121210東京グラフィティ取材写真その20

取材ではいろんなショットを。

20121210東京グラフィティ取材写真その16

20121210東京グラフィティ取材写真その15

20121210東京グラフィティ取材写真その14


春江おばあちゃんが持っているのは、藤五郎おじいちゃんの絵
これは私(眞對れいこ)が描いた絵です

 

 


10数年前…
写真を見て短時間で私がなんとなく描いた藤五郎おじいちゃんのラフな
スケッチ画
「今度ちゃんとした絵を描きますね…」
と言ってから描かぬまま十数年たってしまいました…すっかり絵をさぼってしまい。ちゃんとした絵を描かなけりゃ…ですね…



20121210東京グラフィティ取材写真その5


あらら額に入っている… (^^)



20121210東京グラフィティ取材写真その6


「おじいちゃん」などと呼んでいますが…36歳で逝去
本当にまだ若かったのですね…



20121210東京グラフィティ取材写真その8

まるで少年兵のよう…。

20121210藤五郎おじいちゃん大切抜き

↓これは藤五郎おじいちゃんの出征時。「藤五郎」の旗がみえます

20121210東京グラフィティ取材写真その25


向かって右が春江おばあちゃん。
赤ちゃんを抱っこしているのが藤五郎おじいちゃん。

そしてこの赤ちゃんは主人の母の…姉(享年2歳)Eちゃん
戦時中の医療の限界で…病気で2歳で亡くなったそうです…(涙)



20121210東京グラフィティ取材写真その25スポット


藤五郎おじいちゃんは戦地で病気にかかり、終戦の年には日本に帰っていました

藤五郎さんの乗った軍艦が転覆し、助けられる仲間を助けつつ、命からがら自力で異国の地に泳ぎ着きそこで病気に。
瀕死の状態で日本に戻っていたのです

 

 

------------------------------

 


以下は実話です


春江おばあちゃんの娘(私の姑さん)が5歳の時。関東が空襲を受け
防空壕に町じゅうの人々が避難している中


戦地帰りの藤五郎さんは
音で異変を突然、察知して皆に知らせたそうです

 



この防空壕爆撃される!

危ない!皆、逃げろ!!

病気の体ながら藤五郎さんは小さな5歳の娘をおぶって逃げました
防空壕の中にいた人々を説得し、連れ出し先導して。



そして、夜の闇の中
敵機爆撃が続く中

 


もう近くが爆撃機の射程内に入ってしまった…。
藤五郎さんはその時、咄嗟に皆を空襲から助ける手段を。



線路の上に全員、頭を同じ方向に向けて等間隔あおむけに寝て!」

あおむけに寝ころべ…と、一緒に逃げた一団にてきぱきと指図をしたそうです
敵機の攻撃を避ける咄嗟の判断。人間とわかれば攻撃される。

こうすれば 空からは人間には見えず、
線路わきの植栽に見える…という、爆撃を逃れる苦肉の機転。

はたして本当に爆撃は避けられました。


この日、もし藤五郎さんがいなかったら
「私は生きていなかったのよ」
…私の義理の母は言います
5歳の娘だった義理の母は、この藤五郎お父さんと爆撃の記憶を、恐怖体験とともに 幼いながらきっちり覚えていたのでした

爆撃機が去っていき…そこかしこは地獄絵図。
藤五郎さんは5歳の娘に…持っていた布で目隠しを。
そして…家のあった場所に戻ると、家は爆撃で跡形もなく、避難していた防空壕に戻ったら…


防空壕は直撃されており (T T)
藤五郎さんの説得に応じず防空壕に居残った人々は全員…亡くなっていたそうです…

藤五郎さんは重篤な病の身…亡くなる少し前。
最後の力をふりしぼって…何人、何十人かの命をつないだのでした…


20121210東京グラフィティ取材写真その22

東京は戦後の焼け野原。


終戦後まもなく亡くなった、藤五郎おじいちゃん(…といっても享年36歳のまだ若者)のおは…
福島の田舎に形だけの火葬をし、昭和21年に埋葬されました。
ほとんど
土葬に近い状態で…。

それからぴったり50年後1996年
藤五郎おじいちゃんのお骨を、掘り起こすこととなりました
お骨を東京に移すため。


春江おばあちゃんが歳をとり、はるばる福島までのお墓参りも墓守も難しくなったための引っ越しです
藤五郎おじいちゃんの頭骨
春江おばあちゃんが来てくれるのを、連れて帰ってくれるのを待っていたかのように

それはそれは
白くきれいな頭の形
まあるい形を残して頭骨は土の中にありました


1996年に撮った写真↓
20121210東京グラフィティ取材写真その29
藤五郎おじいちゃんの 頭骨の白い色は…
この宝石箱の感じに似ていたので


20121210東京グラフィティ取材写真その27

藤五郎おじいちゃんの再火葬したお骨は、この宝石箱に入れて東京の某市のお墓に埋葬されました
春江おばあちゃんの
ご主人とお子様のお骨。

つまり…
私の主人の義母の姉弟のお骨と
主人の母のお父さんのお骨。

2歳で亡くなったお姉さん:えみちゃん
0歳で亡くなった:いちろうくん
36歳で亡くなったお父さん:藤五郎さん


1997年にお墓に再埋葬↓
今より15歳若い春江おばあちゃん=当時82歳
20121210東京グラフィティ取材写真その33逆光

20121226東京グラフィティ藤五郎プロフィール

「愛」と彫られた墓碑銘のお墓

20121210東京グラフィティ取材写真その32切抜き逆光



1997年藤五郎おじいちゃんのお骨を 福島から掘り起こし…再火葬して東京に移した時、建立したお墓です

私の実家の家紋と眞對の家紋は…奇遇にも一緒。
抱き柏だきがしわ)」それもこれも不思議な話…


以下、取材の時の春江おばあちゃんの言葉です
        ↓

藤五郎さんはね…『俺が一生、看てやるから安心しろよ。』と言ってくれたの。

…でもすぐに戦争に召集されて…亡くなって…。一緒にいられたのは3年だけ。

でも、ずっと守られてると思っていました。
今でも ずっと大事に守っててくれているんですもの

好き』より、もっと大切な人よ。

 


藤五郎おじいちゃんのお話…。
こうやって 雑誌で残せたのも…Tokyo graffiti東京グラフィティ)の取材のおかげなのでした…

 

 


ーーーーーーーーーー

↓以下、2016年5月追記


私が癌になりました


癌とわかって
余命を言われてすぐ
お墓参りに行きました

私の父母が眠る墓所
富士山が眺められる

素敵な眺望の墓所です



墓所からの眺望↓





墓所敷地内でスマホで撮影↓




お墓は継承者がいないと
やがて共同墓地に合葬されてしまう…という現実。

眞對の継承者はおそらく息子の友樹也、一人
いくつもの墓の維持は一人では大変…という話し合いをもち

父母と同じ墓地に…富士山の見えるゆったりした地にお墓を買いたいという前々からの希望を申し出ました。皆が同意してくれたので、新たにお墓を買いました

そのお墓が建立されたら…藤五郎おじいちゃんはまたまた お引越しすることに。




そのお墓に…私も義父母も、その祖父母も一緒に眠ることとなります
私の実父母とま同じ墓地の同じ敷地内に…。寂しくなさそうですね
お参りに来てくれた人に富士山が見える向きに立つお墓です


さて、50歳ほども先輩の101歳のおばあちゃんは、まだまだ頭も冴えていて記憶力も元気!

2015年5月↓中華料理:酔八仙にて



でも足が痛くて歩くのは少し困難…が私と一緒。

お互いがんばろうね、と春江おばあちゃん。私の方が励ましていただいています


私は今…骨転移の痛みと歩行困難、吐き気・発汗、骨の注射後の副作用とイレッサの副作用に苦しんでいますが、快方への試練だと思って、レッスン休まず頑張っています。大腿はシビれが強く、全身痛…。イレッサ隔日服薬では癌は小さくはならないですが、水素を吸わない日は副作用が強いように感じます

春江おばあちゃんと私…ただいま長生き競争中

おばあちゃん…ずっとずっと…長生きしてね


眞對れいこ

 

 

 

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眞對れいこ ホームページ
http://www.shiroikabasan.com/

 

96歳のおばあちゃん

  • 2012.01.02 Monday
  • 09:04
2012年1月2日

96歳のおばあちゃん



元気な96歳のおばあちゃんが身近にいます。


主人の祖母です。



2012.1.1ひーば2 小介護なしでごく普通に生活しています。
≪写真は昨日のもの≫

杖も使わずひとりで歩き
自分のことはキチンとこなし
なんでも食べ、大好きなお風呂もひとりで入り
テレビも観るし、本も読みます。

耳だけは遠いですが

新聞もすみからすみまで読み、
世の中の出来事も把握し理解しています。


いつもニコニコ。

いろんなものに興味を持ち
いろんなものに感謝して
食べることが大好きで

とにかく普通に生活しているおばあちゃん。

戦争で夫を失い
戦時中に幼いわが子を2人も亡くし
女でひとつで娘(主人の母)を育て

工場で働いて生計を立てていた昔、工場での事故に遭い
大切な「親指」を欠損・・・

それでもけなげに働き、娘を育て上げた
立派な女性です。

親指がなくたって、器用に縫物もこなします。


2012.1.1料理手順完成03 小近くに住んでいるので

 
いつもお正月は主人の父母、祖母と一緒に祝います。
おせちは主人の母と分担して用意します。

今年は我が家に来ていただくことに。





私の山積みの・・・事務の保留仕事はやはり保留にして、
今年の元日はまる1日、ゆっくりすることにしました。


96歳祖母の大好物「八つ頭」はお正月には欠かせません。
八つ頭を煮るのはここ何年、私の役目になっています。

2012年1月1日の「びっくりネコに見えるオクラ」をしたためたあと
お正月料理の準備にとりかかりました。

例年、前日に準備しますが、
今年はゆったりと当日朝に支度・・・

以下、私の今年の担当
毎年、昨年我が家でヒットした料理を再現・・・ということにしています

1時間で以下をつくる!の巻き。
 ★八つ頭煮
 ★韓国春雨サラダ
 ★しいたけ焼き
 ★風呂吹き大根
 ★お雑煮

2012.1.1材料 極小
≪写真右:右が八つ頭・左は韓国春雨≫
≪写真下:韓国春雨。うっすらグリーンで、プリップリの食感≫2012.1.1韓国春雨 極小 

昨秋、我が家にザラフィアンツ先生とフレンチレストラン・シュークルのオーナーシェフ金井ご夫妻をお招きした際にお出ししたところ、
美味しいと何度もシェフがおかわりをしてくださいました。



さて、1時間で用意!のはじまり!!。

2012.1.1料理手順01 極小 大根を面取りし、十字に切れ込みを入れ
 水からゆでます
 同時に、煮立ったお湯に春雨をひたします

2012.1.1料理手順02 極小 エビも入れて弱火で加熱
 このくらいになったら、火をとめます

2012.1.1料理手順03 極小 八つ頭を煮始めます

2012.1.1料理手順04 極小 春雨サラダを味付け
 ナムプラー・浅漬けの素・レモン・ドレッシング2種
 
 できれば、かぼすドレッシングが相性がよいです

 エスニック風に仕上げる場合は、
 さらにトムヤムペーストを加えます


2012.1.1料理手順05 極小 トマト・さらし玉ねぎ・レタスでトッピング

 味付けの「ナムプラー+浅漬けの素」は
 眞對の秘策



2012.1.1料理手順06 極小 八つ頭は一度お湯を捨て、
 新たな水で味付けしながら煮ます

 先にみりんを入れ
 
 煮立ったら
 「あご」が入った「兵四郎だし」を入れます

 塩で味をととのえます(今回は「雪塩」を使いました)

2012.1.1料理手順08 極小大根に火が通りきる前に人参を加えます

グリルでは
「しいたけニンニク焼き」のスタンバイ


2012.1.1料理手順09 八つ頭完成 極小 八つ頭、できあがり


 おばあちゃんに味見してもらい
 ました

 目をまるくして「おいしい!」と
 言ってくれました
 (うれしい〜)

2012.1.1料理手順11 極小 大根・人参がゆであがったら
 ゆで汁を捨てます







2012.1.1料理手順12 極小 別鍋で煮だしておいた
 昆布・アゴだしの汁を加え

 トロ火にしてことこと煮ます


2012.1.1料理手順13 極小 その間に

 隣でお雑煮の汁づくり











 完成しました!

 さあ、宴の始まりです

2012.1.1料理手順完成05 中


96歳のおばあちゃんは、美味しそうに全品食べ、
皆で楽しいお正月を過ごしました。



そして夜はカニすき鍋。(写真撮り忘れました)


2012.1.1料理手順14 極小シメはうどんです

うどんと長ネギと・・・

カニの殻を網ポットにいれ


2012.1.1料理手順15 極小さらにカニの味アップ。

白だしを加え
これだけでも美味しいのですが・・・


2012.1.1料理手順16 極小卵でとじて
片栗粉でとろみをつけると

さらに絶品

「カニ玉とろみうどん」


カニの殻は翌日一日、コトコトさらに煮出したら、
それはそれは美味しいスープができました。

カニやエビの殻は活用しないで捨ててしまうと本当にもったいないですよね・・・



≪昔の思い出お正月写真≫
これは1995年のお正月。
ピアノ教室を始めた年でした・・・    おばあちゃんは79歳

  
1995年のお正月1 小1995年のお正月2 小1995年のお正月3 小

松風焼きや3色ミートローフ、イカたこエビの手作りつみれ汁・・・などつくりましたっけ





≪お正月の思い出≫
これは
1997年のお正月

おばあちゃんは81歳


1997年のお正月鮮明1 小正 1997年のお正月鮮明2 小正 1997年のお正月鮮明3 小正 1998年のお正月鮮明1 小


鶏ささみ肉のつみれの片栗粉煮、舞茸と巾着入り湯葉汁などつくりました・・・




 ≪お正月の思い出≫
 これは1998年のお正月

 おばあちゃんは82歳


1998年のお正月鮮明4 小 1998年のお正月鮮明6 小 1998年のお正月鮮明2 小 1998年のお正月鮮明3 小
まぐろのタルタル・アボカドソースのせ、しいたけのとりどり野菜のせ焼きなどつくりましたね・・・


昔のお正月写真は、まだネガフィルムの時代だったので、
写真を並べてアイフォンで写真を接写撮影したので不鮮明ですみません。

でも、意外ときれいに撮れることがわかりました。



写真を見ないと記憶は薄れるいっぽう。

写真を見るのって・・・「人生の復習」みたいなものですね


おばあちゃんは、97回目のお正月でした。
どんなにか つらいお正月も数々あったことでしょう・・・

でもおばあちゃんは、昔のつらかったことは、思い出したくないそうです。

「忘れちゃったよ」と、ニコニコして言います。


そして、幸せそうにお料理を味わう姿・・・
まわりも幸せな気持ちになります。


おばあちゃんは、すごいな!

 

今日はこのへんで。

お付き合い、ありがとうございました。


眞對れいこ

眞對れいこホームページ↓
http://www.shiroikabasan.com/

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